の最後の贈り物


最愛の母が、安らかにあの世に旅立っていきました。

その日は突然にやってきました。


いつものように銀行に行く途中、母は銀行前の交差点で転倒し、大腿骨を骨折して救急車で病院に運ばれました。その日は元気に、食事をいつものように食べ、歯磨きまでして寝たのですが、翌早朝、大腿骨骨折によるひどい脳梗塞を起こし、そのまま意識不明になってしまいました。
それから約2週間、【眠れる森の老女】のようにスヤスヤとひたすら眠り続けていました。

病状の説明を受けて、私たち兄弟は「決して無用な延命措置はしないように」という母の意思を尊重する事にしました。
それからは、毎日兄弟家族が危篤状態の母の病室に集まりました。意識もない、口も利けない、半身不随の母の手や足をさすりながら、昔話や他愛無い世間話をして一日の大半を過ごす事となったのです。考えてみたら、物心ついてからは、それぞれ自分の生活が忙しく、なかなか兄弟揃って一日中一緒にいる事など、ありませんでした。
この年になると、お互いを認め合える余裕が生まれ、若い頃に感じていた兄弟に対する確執が少し変化している事に気づきました。特に学生のころからドイツ哲学を専攻してきた兄は、私の想定を超える人物であり、簡単な問いかけにも、禅問答のような返答がある時など、一生この人を理解することはないだろうと常々感じていました。
しかし、母を見舞う空間の中に、兄嫁の母に対する温かい想いや、兄の依怙地に感じていた不器用さがひしひしと伝わってきたのです。
みんなが心を一つにして、穏やかに母を送ってあげようという想いの礎は、今まで当たり前に感じていた家族の絆、そして母が溢れんばかりに注いでくれた愛情の賜物でした。
母の病室で分かち合った兄弟家族のほのぼのとした時間は、母が最後にくれた最高の贈り物でした。

私が作詞した「蒼穹の旅人」の音楽の中で、花祭壇に飾られた母の遺影は、華やかに微笑んでいます。
これは、昨年「東日本大震災のチャリティーコンサート」で初披露した楽曲です。この楽曲を聴くために、母が文京区のシビックホールに来てくれたのが、昨日の事のようです。
歌と踊りが大好きだった母は、今頃故郷の信州の山をバックに、思う存分歌い踊りまくっている事でしょう!!

「子供の一番の親孝行はね、親より一分一秒でも良いから長生きをして、親を送ること。
それが出来れば満点よ!!」
母はいつもそう言ってにっこり笑ったものでした。
私たちは無事に一番の親孝行が出来ました。

ありがとう!! おかあさん、、、。


チーム絆代表 渡辺照子