92歳の笑顔 ~熟成する心~


これが叔母のはつ江さん、92歳。もうすぐ93歳になります。
90歳の時、10年間有効のパスポートを取り、死ぬ前にもう一度海外旅行に行きたいと、
毎月のように電話がかかってきます。


2年前、その要望にお応えして台湾旅行に同道したのですが、飛行機が羽田空港を離陸して昼食を食べ終えたころ、突然低血糖の状態になり意識不明になってしまいました。
気圧の変化がこんなに人体に重大な影響を及ぼすことを驚くと共に、あまりの急変具合に最悪の事態を覚悟せざるを得ませんでした。
幸い機中に医療従事者の方がいらして、適切な処置をして下さったお蔭で、何とか意識を取り戻しました。その後は台湾の病院に入院し、小康状態を取り戻してから帰国の途に就きました。
こんな人騒がせな叔母ですが、なんと帰りの機中でぽつりと一言

「何にも観光できなかった!!また来ようね。」

これには誰も返事をしませんでした。
本人は意識を失っており病院しか見なかったことは事実ですが、同道した私たち3人も病院とホテルの往復だけ、観光どころか毎日、日本と病院の対応でもうグッタリしていました。
帰国後、やはり叔母の体調が悪くなり、その上骨折などもして、すっかり年を取ってしまいました。
見舞いに行って話しかけても、うつろな目を向けるだけで、全く表情がなくなってしまったのです。
さすがに海外旅行に行きたいという発言もなくなり、叔母ももう長くはないのかなぁ~と心中寂しい想いをしていました。それでもとにかく元気づけなければと思い、
「叔母さん、また旅行に行きたいでしょう!!早く元気になってね。」
駄目かもしれないと思いつつ、それでも手を握って声掛けをしていました。すると叔母が
「行きたい!!素敵なところに行ってみたい!!」
無表情だった叔母が、突然話し出したのです。人は目的が無ければ頑張れないし、生きられないものです。
その後は旅行に行きたいという一念で、体力も回復し、ずいぶん元気になってきました。叔母には子供もおらず、叔父にも20年ほど前に先立たれてしまい、たった一人きりです。経済的には自律しているものの、私のような親類以外たよるひとがいない状況です。

3年越しの思いが実り、ゴールデンウィークに1週間ほど韓国プサンクルーズに、叔母と私と従妹の3人旅をすることになったのです。叔母は身長が低いが、文鎮のようにずっしりと体重があり、私一人では到底介護できないからです。
叔母のような車椅子を必要とする方々にとっては、船旅はとても快適です。まず、階段がなくバリアフリーなので移動が容易ですし、食事もエンターテイメントも充実しているので、毎日がお祭りのようです。日頃は、家の中に籠りがちですが、船中ではお洒落して食事に出かけたり、ショウを見に行ったり、非日常性を満喫できます。
毎日、毎日が楽しく箸が転んでも笑うような日々でした。
こんな風に叔母と一緒に生活をしたことのなかった私ですが、叔母の最大の長所を発見しました。
それは、決して人の悪口を言わないのです。かなり、理不尽な目にあっても「仕方ないね」と、にっこり笑うのです。








素敵な笑顔でしょう!!






人生の荒波を潜り抜けてきた人が持つ

自信にあふれた笑顔です。

戦前、戦中、戦後、日本の激動の時代を生き抜き、

女性差別のひどい時代でも

あるがままを受け入れる心の広さを備えた笑顔です。









皺もシミも彼女の表情の深さを表現する、大切な構成要素です。
人は加齢によって身体は劣化します。でも、心は死ぬまで熟成し続けるのです。

まるで、ワインのように、、、。

ですから、はつ江さんはワインで言ったら1920年のビンテージワインでしょう。
年代を経たものだけが持つ、落ち着いた香りと熟成し尽したレンガ色。

クルーズから帰国した翌日、早速に電話が鳴りました。
「私ね、今までの人生の中で一番楽しい旅だったの!!来年も行きたいなんて思っちゃいけないかしら?」まるで少女のように、少し高揚した声でおずおずと聞いてきました。
誰が駄目なんて言えるでしょうか?

明日は明日の風が吹く、なるようにしかなりません!!
来年のことはわからないけれど、叔母さん、元気で一緒に行きましょうね!
私も叔母の世話ができるように、体を鍛えなければ、、、。
熟成し続ける心を健全に維持するために!!


チーム絆代表  渡辺 照子