安楽死


生きとし生けるものにとって、死は平等である。























これは私の愛犬を通して体験した安楽死について、書いてみました。

愛犬15歳のときの決断

 愛犬の名はジャル、オスのマルチーズ、息子が小学校入学の記念に、我家の一員となった。当時、生後2ヵ月だったジャルは、片掌に載るほど小さかった。

 よくあるパターンで、息子はよく可愛がるのだが世話をせず、犬の飼育に慣れていた私が世話をすることになった。利口な犬で、悪戯もほとんどせず、病気にもならず、何の文句も言わず、帰宅するとこんなに喜んでもらっては悪いなぁ~と思うほど、ちぎれるほど尾を振り迎えてくれる、本当に愛すべき存在だった。

 ところが、15歳になったころ突然うんちが出なくなった。犬の腸は胃からまっすぐ肛門まで繋がっており、加齢による筋肉の衰えで、腸が“く”の字に曲がってしまうのが原因ですと獣医に説明をされた。ほとんど医者通いなどしたことがなく、元気そのものだったので、意外な感じがした。その時、獣医は2つの提案をしてくれた。は高齢なので、このまま自然の摂理を待って安楽死をさせる②は手術をして少しでも生きている時間を長くする


 私たちは躊躇わずに後者を選んだ。彼のいない我家は考えられなかったからだ。

 東大病院に2週間程入院し、すっかり元気になってジャルは我家に戻ってきた。


あのときの私たちの選択は正しかったのか

 ところが、その後の2年間は嘔吐、下痢の繰り返し、悪くなっては薬を飲ませ小康を得るとまた悪くなり、坂道を下るように一進一退を繰り返しながら確実に死に向かって行った。

 それでも、日常は何も変わらなかった。いつものように愛嬌たっぷりに、私たちの足元にまとわりつき、文句や愚痴も言わずに尾を振り続けてくれた。
 しかし、手術から2年目の夏の終わりごろから、とうとう食事をすることが出来なくなった。前足が踏ん張れず、餌を食べようとすると、ずるずると腹這い状態になってしまう介護状態が始まったのである。自力で食べられなくなると、食べ物を出しても食事をしなくなった。水だけしか飲まずに、1ヶ月ほどたった頃、庭に立って今生の別れのように色づく木々を眺め、黄金色に染まった銀杏の木を渡る風に目を細めながら吹かれている姿を見たとき、私もジャルの命がそう長くはないことを知った。その細く細くなった後姿が凛として、死に立ち向かってゆく気概が感じられたからだ。

 それなのに、私は愚か者だったと思う。具合が悪くなるたびに獣医に通い、小康を得るとホッとして、ずるずる延命措置を繰り返していた。獣医がそろそろ安楽死を考えたらいかがですかと忠告をしてくれても、天命が下るのを待つと自分自身に言い訳をしながら、、、、。


死の直前にわかったこと

 死ぬ2日ほど前の夜中に、突然ジャルがワンワンと若い頃のように吠え、四肢を野原を駆け巡るように動かした。私は一瞬苦しんでいるのかと吃驚して飛び起きたが、どうも、夢を見ているらしい。一晩中、ジャルは夢の中で野山を駆け回っていた。その夜から、どんどん状態が悪くなり、目を開く余裕さえも無くなり、ジャルの形相が一変してきた。目は引きつり口角は上がり、鬼のような形相になったのを見て、私たちはとうとう決心した。獣医に向かう車の中で2度ほど痙攣を起こした。その表情は、本当に苦しそうで、延命をさせてしまって本当に良かったのだろうかとの思いが心をよぎった。

 「あ~あ、こんなになっちゃて、、、。」と獣医がぽつりと言った。

 その言葉が私の心に突き刺さり、後悔の念が湧きあがってきた。私は人の批判はあまり気にしない。でも、後悔は私を容赦なく打ちのめす

 自然の摂理に逆らい、手術を決断した傲慢さ、そして愛するものを助けるという偽善的な思いの裏側には、失いたくないという利己的な愛しかなかったことが、はっきり解ったからだ。私は自分が思っている以上に、臆病者で腰抜けだということがよ~くわかった。

安堵感に満ちた最期に

 「これから鎮静剤を打ちますから、お別れをしてください」と獣医が言って注射をすると、突然ジャルの表情が変わった。鬼のような形相からいつものような穏やかな表情になって、黒い瞳を私たちに向けた。その眼はすべてを悟っているようで、苦しみから解放された安堵感に満ちていた。
愛犬ジャル
前肢を握り骨張った体をさすりながら、私たちは交互にお別れの言葉を言った。それをうっとりとジャルは聞いていた。
 「それでは、弛緩剤を打ちます」恐ろしい一瞬がとうとう来たと、思わず目を見開いた。

 ところが、ジャルはまるで微笑むようにして目を閉じたのだ。

 呆気なかった。

 この2年間、ジャルは行きたくもない病院に通い、血液検査で血を抜き取られ、嘔吐と下痢の繰り返しの日々だった。ジャルにとっては苦痛以外の何物でもなかったに違いない。



私たちの愛情と称していたものは、真の愛情だったのだろうか?


 たかが犬のことぐらいでと思われる方もたくさんいらっしゃるだろう。

 だが、私は犬がノンバーバル(非言語的)コミュニケーションができると信じている。

 オオカミと種を分けたのは、犬は人と愛情を築くコミュニケーション能力があったからだと思っている。

死を受け入れ、立ち向かう勇気を

 話を元に戻すと、日本では人間の平均寿命も長くなったが、犬の平均寿命も延びた。

 もしジャルが若かったら、手術は意味あるものだったかも知れない。

 しかし、ジャルの年齢を考えた時、私達は死を受け入れなければいけなかったのだ。

 そして、死に立ち向かう勇気を持たなければいけなかったのだと思う。

 生きることは長さだけではなく、どのように生きたかが大切である。

 今も心の中に生き続けているジャルは、年老いていつも寝ていたジャルではなく、元気に跳ね回っていたころのジャルだ。


 安楽死という言葉は、何か罪深いような響きがあり、手術は肯定的な響きがある。

 しかし、ジャルにとって罪深かったのは手術だったのだ。生きる時間は長くなったが、苦痛も増えた。安楽死は寿命を全うした地点での苦痛の軽減として、意味あることだった。少なくとも、ジャルの微笑んでいるような死顔は、私達にとって大きな慰めとなったのは事実だ。

 幸せなことに医療が発達した日本では、死と隣り合わせの中で生活をすることはない。

 しかし、自然界に生きるものとしてのルール、掟を忘れてはいけないのではないだろか。

チーム絆代表  渡辺 照子