人の心が弱い理由・・・なぜ薬物乱用をしてしまうのか

 先日、薬物乱用防止教育講師認定証という資格を頂いた。
 学校や公的機関で薬物乱用がいかに大きな被害をもたらすかについて、講演が出来る資格だそうだ。私は東京の六本木に住んで数十年経つが、幸か不幸か一度も薬物と称するものを見たことがない。子供の頃から母がそんなものに手を出したら一生が台無しになると頭ごなしに吠えていたこともあり、手を出す機会もなく今日まで来てしまった。
 だから、薬物がどんなに恐ろしい物かという現実的な経験もないので、もし強い誘惑があったら手を出していたかもしれない。知らないということは、そういうことだ。
 知識も浅く経験のない私が、講演で薬物は絶対にやってはいけないと大声で叫んでも、ああ~そうですね!で終わってしまう気がする。鋭い質問などきたら、一発で馬脚を現すに違いない。みんな、頭の中では充分に分かっている。


人は知らなければ知らないほど、無防備になれる。逆に知れば知るほど弱くなるのが人の心だ。


 でも、人には好奇心がある。ダメだ駄目だと言われるほど、特に若い頃はどんな物なのかを知りたくなるのが当然だ。
 だから、私は頭では理解していても、思い通りにいかない心のメカニズムについて説明してみたい。

思った以上に弱い自分の心

 まず、自分の心は自分が思っている以上に弱いものだ。
 ソチオリンピックの浅田真央選手を見ても、それがよくわかる。彼女が戦っていた相手は、自分自身である。SPで失敗して、FPで自己との戦いに見事打ち勝ち、自己最高得点を獲得した。世界中の人が感動したのは、浅田選手の自分自身と戦う姿が崇高だったからだ。勿論、ライバルはいるものの最終的には自己を征したものが、真の勝利者となる。結果は後から付いてくる。


薬物使用は二つの大罪を孕でいる。
① 薬物は多額の金銭が絡むので、犯罪に直結している。相手はカモだと睨んだ途端、執拗に食い物にしようと取り囲む。だから、一旦接触を持ってしまうと、いくら自分から離れようと思っても抜け出せず、犯罪と隣り合わせの人生を歩むことになる。
君子危うきに近寄らず。
② 薬物によって脳の組織が破壊される。
これは致命的である。破壊された脳は元には戻らない。
薬物を使用することによって、ドーパミンやセロトニンが大量に出て、快楽を感じる。でも、薬物を使用しなくても、ドーパミンやセロトニンを分泌できるものは世の中に沢山ある。例えば、自分の好きな事、スポーツであったり、仕事であったり、恋愛然り。ここで大切なのは本気で取り組むこと。多くの人は、これらの事で充分満足している。


 でも、こんな事は大方の人は概念で理解している。そして、自分は大丈夫という過信も持っている。


 この過信が手強い。自分を知らない人ほどこの思いが強い。

弱さの正体は防衛機制

 人間は窮地に立つと自分で自分の心を守ろうとする、自然なこころの働きがある。これを防衛機制という。防衛機制は、不安や葛藤、欲求不満などが起こると、心を平常に保とうとする心のしくみで、こころの巧みな防衛機能のことである。
 人の心が弱いのは、この防衛機制があるからだ。防衛機制は、実際、自分の意志とは別のところで行われる非常に高度な心のしくみなのである。自分の心と対峙する事は苦しいので、無意識のうちに避けてしまう。自分自身の責任を認めるのを恐れ、何かの所為にすることによって自分を守ろうとするのだ。
 子供を虐待するのもこの心理である。躾と称し、この子のためにと理由づけをしながら虐待をする。でも、自分の心と対峙すれば自分のしている事は躾ではなく、思い通りにいかない不満をごまかし、子供に対して憂さ晴らしをしているのが解るはずだ。
 カウンセリングでも、一番多いのは自分が何をしたいのかがわからないという相談である。自分の事なのに何故解らないのか?
 それは自分の心と対峙する事を恐れて、心の中を見ようとしないから。
自分の心と対峙できた時、初めて人は自分自身に納得できる。自分のしたいことを受け入れてこそ、はじめて本当の問題が何であるかが解り、問題解決ができるのだ。

薬物乱用の後悔と挫折

 先日、薬物を使用して刑務所に入った人に話を聞くことができた。
 興味深かったのは、使用したきっかけは「先輩から勧められたから」、止めようと思ったきっかけは「家族にこれ以上迷惑をかけられないから」という人と人の繋がり、絆がポイントとなっていたことだ。元来、人は「YES」と言いたい生き物だ。それは生まれた時から、親の期待には添いたいと思い、それが出来ない自分に失望し、自分の心を守るために反抗をする。そんな成長過程を通って大人になる。だから、NOと言うのは勇気がいる。
 日常の些細なきっかけ、たった一言「NO!」と言えなかったことが、人生を左右するような大問題に発展してしまうのが、この薬物(の恐ろしいところなのだ。)
 先輩からちょっとやってみないかと誘われ、なんとなく断れず手を出し、気付いた時には薬物中毒になっていた。その頃には、家族や普通の友人は自分から離れて行ってしまい、もう誰もいなかった。自分でも驚いたのは、突然記憶がなくなり、病院のベッドに拘束されて目が覚めたこと。まるで、ドラマの1シーンのようなことが、自分の現実になってしまったことだ。勿論、止めようと何度も決心をするのだが、その度に必ず売人と称する輩が自分の周辺に現れ、無料で薬物を提供してくれたり、優しい言葉をかけてくれる。
 もう人間関係も身体もズタズタに壊れてしまった自分を、最後に救ってくれたのが家族だったそうだ。彼は言葉には出さなかったが、きっと壮絶なやり取りがあったのだろう。
 そのキュッと結んだ唇が、わずかに震えていた。


 最後に、薬物を使用して今どのような感想かを尋ねると、
 自分は薬物に手を出したことの言い訳を常に自分にしていた気がする。誰が悪いから、こんなひどい状況が有ったのだからと。今立ち直らなければ、自分の将来はないと決心したものの、禁断症状と戦いながら、薬物に手を出した自分を後悔し、立ち直れない自分に挫折を感じる焦燥の日々
 この後悔と挫折が一番苦しかったと彼はつぶやいた。
 今でも時々後遺症が出てきますと爽やかに笑い、頭を掻く彼は本当にそんな地獄のような経験を乗り越えてきた人のようには、到底見えない。

自分自身は自分で守るという意識

 薬物乱用(一度きりの使用でも乱用というらしい)した人が、元に戻るにはかなり厳しいハードルを越えなければならない。
 そんな苦しい人生を送る必要があるのだろうか?
 彼のように断ち切れた人は一部に過ぎず、大方の人は失意の中で人生を終えるのだろう。


 人々の心は昔から変わらない。でも、世界は情報化の中で小さく狭くなってきている。
 以前だったら無縁の犯罪にも、本人の意思とは無関係に巻き込まれてしまったり、加担をしてしまう、便利で危険な世の中になっている。
 だから、自分自身は自分で守るという当たり前の意識を、もっともっと真剣に持つべきなのだろう。それには、生半可な知識を持つことで自然と湧いてくる好奇心を律する強さを持たなくてはいけない


 そのためには、やはり、薬物の害悪に関する正しい知識や、薬物乱用の地獄から立ち直った彼の言葉の「家族にこれ以上迷惑をかけられないから」という、一見ありきたりのような結論に至るまでの壮絶な戦いを、知ってもらうことが大切であると、「薬物乱用防止教育講師認定証」を見て、つくづく感じている。



チーム絆代表  渡辺 照子