新マイナス思考
~プチ鬱は人生の財産~


 「マイナス思考」と書くと、通常「プラス思考」の対義語で、すべてを否定的に考える思考と思われる方が沢山いらっしゃることだろう。
 しかし、私においては全く違う。自分の頭の中から不必要なものをどんどん削除して、本当に自分に必要な物だけを残していく考え方。簡単に言えば、頭の中の断・捨・離。

真面目で欲が深いと…

 つい最近気づいたのだが、もともと私は真面目な性分らしい。(今まですごくいい加減に生きてきたと思っていたのだが)そして、意外に欲が深い
 例えば、人に頼まれると嫌と言えないので、ついつい手伝いをしてしまったり、良いと聞けば、料理でも化粧品でも健康食品でも試してみたくなる。だから、日々忙しいし、頭の中が一杯だ。最悪なのは、多くの情報に振り回されて、一番大切な事すら見失ってしまうこと。大概の事はどうでも良い事で、それを私がしてもしなくても、太陽は東から昇り、降りやまぬ雨はないように、私の人生には大きな変化はない。あまり自分の人生に必要のない事まできちんとやろうとすると、結構ストレスが溜まることに気がついた。

「新マイナス思考」の実践

 それで私は「新マイナス思考」を実践する事にした。理由は、現代は情報が多すぎるからだ。過ぎたるはなお及ばざるが如し。
 昔は町内にいつも縁台に座っている頑固爺さんやお節介なおばさんがいた。彼らは独自の倫理観をはっきりと持ち、人からの評価などは全く意に介せず、まっしぐらに自分の道を生きていた。子供の頃は、おっかないと感じたり、あんな風にはなりたくないと思ったものだが、今となっては彼らのシンプルな生き方は何と潔いのだろうと、尊敬の念すら生まれてきた。政治家ですら、自分のヤジを咎められると、嘘をついてまで逃げ回る。せめて、野次るのなら、自分の野次に信念を持って欲しい。自分の大切にしているポリシーを他人からいかに非難されようと貫き通すには、真の強さが必要だ。彼らの「人に媚びない」姿勢は「新マイナス思考」そのものなのかもしれない。

情報の整理は難しい

 しかし、人生経験の長い方は、特にシニアの方々はよくお分かりいただけると思うが、情報を整理して捨てる事はホントに難しい。そして、捨てて後悔しないように捨てた事すら忘れてしまえるのがベストだが、意外にもくだらない事ほど良く覚えている。
だから、まず情報は(必要、不要、微妙)3種類に分ける癖をつける。一番難しいのは、微妙の処理だ。ルールをきっちり決めて、機械的に分類していくのが一番楽かもしれない。


 プラス思考の弊害は、日常私たちがしている事はどうでも好い事ばかりで構成されているのに、何もしない事についつい罪悪感を持ってしまうこと。そんな罪悪感から、自分自身を解放する事が大切だ。
 解決策として、私は時々プチ欝状態になって頭の中を時々リセットしている

プチ鬱は人生の財産



ミーハーな話しで恐縮だが、その意味で私はハワイに時々滞在している。
 何故ハワイが適しているかと考えると、気候が穏やかで柔軟な自然環境の中にいると、心がやわらかくなるような気がする。何かに固執したり、戦うこと(日々の日常では仕事がそれに当るのかもしれない)を放棄できる気がしてくる。大自然を目前に、自分は小さくて無力であることを認めると、小さな自分に居心地良さを感じて、時の流れや自然の流れに逆らうことなく身を任せていると、何かに守られているような気がする。まるで、母のおなかのなかにいた頃を思い出すのかもしれない。

 ほんわか温かく守られているようで実に安心できる。
 自分が小さくて無力と感じる空虚感や、自分自身の内に籠りたいと思う瞬間は、いわゆるプチ鬱状態だ。そんな状況に体の力を抜いて、身をゆだねて時の過ぎるのを楽しむのも実に気持ちよいもの。そして、自分のやりたい行動が出てくるまで待つのも、時には必要な気がする。そんなに頑張らなくてもイ~じゃないと天から言われているような気がする。

バランスが大事

 ストレスもプチ鬱も人が生活をするうえで、必要不可欠のもの。よくプラス思考は良くて、マイナス思考はよくないというような言い回しがあるが、全てはバランスの問題で、プラス思考もマイナス思考も必要であり、自分の状態によって、適正な思考を選べばいいだけ。


 近頃は、なるべく必要のないものは、頭の中で消去するようにしている。そして、自分が本当に大切だと思えるものだけを残すと、スッキリして日々が爽快に過ごせる事に気づいた。
 ぜひ、一度お試しいただきたい。

チーム絆代表  渡辺 照子