孤独を感じる時には?


仕事でニューヨークに滞在していた。
ブロードウェイを歩くと歩道は人で溢れ、アジア、インド、イスラム、ヒスパニックと人種の坩堝だ。
一体、どれくらいの観光客が来ているのかと思うほど、街は人で埋め尽くされている。
本当に世界が小さくなったものだ。
そして、誰でもスマホを片手に食事をしたり、歩いたり、電車に乗っている。
世界中、文化や生活様式まで同じになってきている。
この画一化が良いのか悪いのかよく解らないが、こんなに沢山の人がいるのに暖かい雰囲気があるかというと、みんな妙によそよそしい。


私の子供の頃は、食事中に無駄口やテレビを見ていると叱られたもの。
今はかなり高級なレストランで、かなりいい年のおじさんがスマホを片手にディナーだ。
すっかり世の中が変わってしまった。




人はどんな時に孤独を感じるのだろうか?         
人が孤独を感じるのは、たった一人で無人島にいる時より、たくさんの人が集まる雑踏の中なのだろう。                        
そしてこんな大勢の人がいるのに、自分は誰からも相手にされないと感じた時、絶望するのだろう。


























マリーローランサンの「世界で一番悲しい女」という詩を思い出した。



退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲 しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


(「Le Calmant」 Marie Laurencin /  「鎮静剤」 堀口大學訳より)



都会に暮らすとプライバシーと孤独のバランスが難しい。
人と共存するとストレスが発生するが、孤立すると忘れられた人間になってしまう。
だから、人間関係に行き詰まってしまうとペットに愛情を傾けてしまうのも、よく分かる。
確かに、子供や動物のように無条件の愛情を捧げる相手がいると、彼らを守りたい一心から思いがけない力が出るものだ。
そして、他人から尊重されたいと思ったら、その人たちのお役に立たなければ尊重されない。
これが世の中の道理というもの。とてもシンプル。
よく考えてみれば、ひとは一人で生まれ、一人で死んでゆく。だから、一人の孤独には慣れている。
だからこそ、社会の中で自分の居場所を見つけたいと本能が欲するのだろう。
その中で人から解ってもらえない、認めてもらえないという感情は捨てるべきだ。
孤独は当然と思える強い心を持ってほしい。



でも、孤独で寂しいと感じたら、ぜひ読んで欲しい本がある。
自分の宣伝のようで恐縮だが、今月から書店で販売を始めたケアストレスカウンセラー公式テキスト。
高齢者、青少年、企業中間管理職の3コースに分かれている。









今、鬱やストレスは、予防と自己管理の時代になっている。
お陰様で、ケアストレスカウンセラーの資格取得者も右肩上がりだ。
これはやっぱりお役に立っているからだろう。
メンタルヘルスの知識は、学校では教育されていない分野であり、これだけ都会に住居が集中する時代には必要不可欠だ。
別にカウンセラーにならなくても、自分の心の状態を的確に把握できるし、それに対処できるので、
鬱になっても怖くない。
簡単に言えば、鬱になって3年我慢をすると、鬱を克服するのにも3年かかるといわれている。
でも、的確な対応ができれば鬱になっても、1日で克服することも可能だ。
非常に乱暴な言い方だが、我慢なんて必要がなく、知識が必要なのだ。
もし、書店で見つけたら立ち読みでも構わないので手に取ってほしい。
そして、このちょっとした症状から、自分が満たされていないと感じたり(虚無感)、
テレビを見ても笑わなくなっている自分を、洞察することができれば結果が全然違ってくる。


この仕事をしていて感じるのは、自分のことは自分が一番わかっているはずなのに、意外に自分のことはよく解っていない。
それは、自分はこのようにあるべきとかいう概念に自分を当てはめようとしているからだ。
自分のやりたいことと、他人(親や友人)から期待される事が違うと自己葛藤が起きてしまう。
当然のことながら特に、青少年の方にその傾向が強い。
孤独で寂しいという感情は、自分が自分に発しているメッセージであり、
自分の心と素直に向き合う大切なきっかけにしてほしい。


                     チーム絆代表  渡辺 照子